蛍光ペンで塗られた文字が見えません
この数年で視力がさらに低下しました。
老眼も進行しているようで、文字が見えにくくなっています。
とくに夕方から夜にかけては深刻で、フォントサイズ6未満の数字が連なった資料の解読に苦戦しています。
部下や同僚の資料をチェックすることが多いのですが、濃い罫線で構成された表内の数字や、ピンクや青色の傾向ペンで塗られた数字は、凝視しないと読み取れません。
しかもコスト削減のため、資料の大半は縮小コピーされており、余計に見えません。
さらにコピーをコピーしたものだと、文字がかすれていて、お手上げ状態です。
視力は幼いころから悪く、今も仕事中はコンタクトレンズを使用しています。
本当は眼鏡に替えた方がいいのでしょうが、レンズがかなり厚いため、長時間付けているとどうしても頭痛が生じます。
だから止む無くコンタクトレンズを用いていますが、老眼の進みを踏まえると、そろそろ限界かもしれません。
他方で職場でもペーパレス化の黒船が襲来しており、会議資料もデータで配布されることが基本路線となりました。
どうでもいいような資料は画面上での確認でよいのですが、重要資料は紙に出力して、自分なりにメモを加筆しないと、私の場合、記憶に残りません。
記憶に残らない資料の説明を聞いても時間の無駄だと思いますので、大事だと思ったものは、躊躇うことなくプリントアウトしています。
若い同僚からは、小馬鹿にされているかもしれませんが、いまさら最新のIT機器を保持しても、寄る年波には勝てません。
今後も「抵抗勢力」として、全てではありませんが紙出力を続け、静かに戦っていこうと思います。
『正直不動産』で学ぶ
漫画『正直不動産』を購入し、すっかりはまりました。
まだ全巻を読んでいませんが、面白いです。
現在、ドラマでも放送中のようですが、不動産業界の裏事情が素人にも分かりやすく描写されていて、勉強にもなります。
これまでの人生で、賃貸マンションの契約を複数回、中古戸建て住宅の購入・売却、新築マンションの購入を経験しましたが、いずれもその当時は契約の詳細までを理解しきれていなかったように思います。
幸いなことに、すべて悪質業者ではなかったので、トラブルなく新生活を始めることができましたが、もっと前にこの漫画に出合っていたら、選択が変わっていたかもしれません。
不動産業界に関心をお持ちの方もしくは不動産投資を検討されている初心者の方は、読まれたらいいのではないでしょうか。
専門書でもいいのですが、不慣れな専門用語や法律が多いので、はじめは理解に苦労されることも多いと思います。
私は『正直不動産』を読み、改めて不動産投資は怖いものであり、自分の性格・性質では絶対に手を出すべきものではないと認識しました。
不動産に興味がない方でも、単純に読み物としても面白いと思いますので、書店やネットカフェで見つけられた際には、少しページをめくってみてください。
尊敬する先輩が旅立たれました。
4月になり、また新年度を迎えました。
春の人事異動で、複数の任務を兼務することになり、仕事量が2倍に増えました。
ストレスも2倍となります。
職場の窓から満開の桜が見えます。
毎年のことですが、本当にきれいで、心が束の間、安らぎます。
先日、私にとって数少ない理解者の一人で、尊敬する先輩が亡くなられました。
まだ50代前半でした。
現役バリバリの社員の急死とあって、職場関係をはじめ友人・知人等、多くの方がご葬儀に参列されました。
先輩の人徳の深さを改めて感じました。
ご葬儀から少し時が経過しました。
先輩が亡くなられたことが未だに信じられず、夢ではないかと時折、思います。
いつもおおらかで、人間味に溢れていて、弱い立場の人にこそ寛容で、本当にいい人でした。
そんなお人柄ゆえに、他人が嫌がる仕事も率先して引き受けられるなど、無理がたたったのかもしれません。
「コロナが落ち着いたら、飲みに行こな。また連絡するわ。」
約束が叶わず、無念です。
先輩のことだから、「○○君、堪忍な!」といつもの屈託のない笑顔で謝っておられるような気がします。
もっと、いろんな話を聞きたかったな。
もっと、いろんな話を聞いてほしかったな。
春のせいでしょうか。
桜の花びらが散るのを見ると、涙がこぼれます。
「ええ歳したオッサンが情けない。しっかりせなアカンで。」
先輩の笑い声が聞こえてきそうです。
もう少し、頑張ろうと思います。
一番ましな人・政党に投票しました。
朝一で衆議院選挙の投票に行ってきました。
ここ数年、テレビも新聞もほとんど見ていませんが、何の問題もありません。
今はYouTubeやTwitterで直接、候補者や政党の生の声が聴けます。
そこには、マスコミによる意図的な情報操作や、不都合なシーンのカットもありません。
「報道しない自由」にも影響されません。
逆にSNSで有権者に情報発信していない政治家は、問題外だと考えています。
今回も自分なりに考えて、一番ましだと思う候補者、政党に投票しました。
NISA利用者の大半は、所得税を支払った後の手元資金でコツコツ資産運用されている方々だと思います。
三浦瑠麗さんのご指摘はごもっともだと考えます。
NISAのことすら正しく理解していない者が要職を務めている某野党には絶対入れません。
某野党得意の事業仕分けで、まずはその者を廃止・除外することから始めてほしいと思います。
「論理的ではないでしょう!」と言われても・・・。
春先に新しい上司(とは言っても上司の上司)が着任して以来、えらい目に遭っています。
これまでの慣習や体制、企業文化など、まるでおかまいなし。
自らの信念に基づき、主張を押し通そうとされます。
妥協はありません。
「なぜできないの? そんなのおかしいでしょう? おかしいと思いませんか?」
会議のたびに毎回、詰め寄られます。
決してパワハラを受けている訳ではありません。
本人のこれまでの経歴と実績がすばらしく、その主張は基本的に筋が通っていて、重みがあります。
反論の余地はありません。
だからいつも蛇に睨まれたカエルのように、凍り付いてしまいます。
一番気の毒なのは私の直属の上司です。
真っ先に非難の対象となります。
私は上司のお供の立場なので、まだましです。
先日も、「論理的ではないでしょう! それでいいのですか!」と、けちょんけちょんにやられました。
職場に戻り、「そんなこと言われてもなあ…。」と、上司と二人でため息をつきました。
論理的って、いったい何でしょう?
改めて辞書を引くと、「理詰めに考える態度であるさま」とあります。
なるほど。
でも、わかるようで、わかりません。どこか腑に落ちません。
人間や組織は、論理だけでは動かないと思うのです。
「論理だけで人が動くのなら、とっくの昔に誰かがやっとるわ・・・。」
思わず愚痴りたくもなります。
気の毒な上司を間近に見ていて、これ以上は昇進したくないなと心底思ってしまいました。
たとえ大幅な昇給が約束されたとしても、ご勘弁です。
心身の健康の方が大事です。
何事も健康あってこそ、生きてくるものと考えます。
なぜ、セミリタイアやFIREを目指すのか?
「起きたいときに起きる、行きたいときに行く、合わない人とは会わない、人生の実現」
私がセミリタイアやFIREを目指す理由です。
昨年からのコロナ禍を受けて、人生観が少し変わりました。
これまでは定年まで働くのが当たり前だと考えていました。
自分とは合わない上司や同僚と付き合い、常軌を逸したとしか思えない悪質なクレーマーの相手をし、やりたくもない他人の人事考課などをしてきました。
あと十数年もこんな生活が続くのかと思うと、うんざりしていましたが、生活のため家族のためと、自分を押し殺して日々を過ごしてきました。
コロナ禍を機にブログやYouTubeをよく見るようになりました。
そこで初めてFIREという考え方を知りました。
20代、30代のまだ若い方々が、理想の人生を求め資産運用や節約に注力されている姿や、既にリタイアを実現し自由を謳歌されている姿などを拝見しました。
大半の方が、特別な才能や多額の遺産を有していたわけではなく、早い段階から現状に違和感を覚え、解決のために行動し、試行錯誤を重ねてこられたようでした。
自分は既に40代後半に差し掛かっており、気が付くのが遅かったと後悔しましたが、今からでも目指すだけ目指してみようと思い立ちました。
まずは、これまでの消費行動を見直し、資産運用に本格的に取り組むことから始めました。
でも、なぜ、セミリタイアやFIREを目指すのか?
きちんと定義しておかないと、この先ブレそうです。
だから、あれこれ考えたうえで、明文化することにしました。
これからも皆さんの投稿を参考にしながら、目標の実現に向けて歩を重ねていきたいと思います。
(またまた久しぶりの投稿となりました。サボり魔で申し訳ありませんm(__)m )
年賀状をやめてみた
コロナ禍の影響で、昨年は自分の暮らしや物事に対する考え方を見つめ直す時間が増えました。
そして、何事もまずは行動・実践してみることが大切だと考え、できることから取り組んでみることにしました。
その一つが年賀状です。
時間は取られる、お金もかかる、気は遣う、の3重苦で、年々負担が増してきました。
以前に比べればかなり減ったものの、それでも毎年50人ほどとやり取りをしています。
手書きのメッセージを添えないと失礼なのかなと思い、内容を考えるわけですが、これが面倒。
結局は、
「また飲みに行きましょう。」
「今年もよろしく!」
という、社交辞令に落ち着くのでした。
メールやSNSが定着した現代。
その気になれば、友人・知人とはいつでも連絡が取れます。
だから年賀状は今年分を最後にやめることにしました。
文面には、人生の折り返し地点に差し掛かったこと、コロナ禍で人生観が変わったことを記し、年賀状でのご挨拶は今後控えたい旨を明記しました。
相手にどのように受け止められたかは分かりませんが、人からもらった年賀状の内容などすぐに忘れ去られるもの。
長年の苦痛から解放されて、気が楽になりました。
新しい年を迎えたので、再開します。
あけましておめでとうございます。
4カ月ぶりの投稿となります。
コロナ禍のとばっちりを受け、ふさぎ込んでしまい、文章を書く気力を失っておりました。
でも、皆さんのブログは時折拝見しておりましたので、近いうちに再開したいなと思っていました。
新しい年を迎えたので、心機一転、また好き勝手に書いていこうと思います。
2020年は個人的にも厳しい1年となりました。
2021年はその分、いや10倍返しぐらいの良い年となればいいなと願っています。
今年も皆さんのブログに刺激を受けながら、前向きに生きていきたいと思います。
ウンパニ体操で顔面を鍛える
社内研修で「ウンパニ体操」なるものを教わった。
マスコミでも頻繁に取り上げられているため、ご存知の方も多いようだが、私は全く知らなかった。
※参照:菅原徹先生のWEBサイト
感情を表に出すことが苦手な人は、そもそも顔の筋肉(表情筋というらしい)が固まっているので、にっこり笑えと言われても無理なのだそうだ。
私も人前でほほ笑んだりするのが苦手なので、同僚や部下からは近寄りがたいと思われているかもしれない。
この体操を毎日2~3分繰り返すと、2~3週間後には効果が出てくるという。
早速、入浴時にやってみた。
鏡に映る自分の姿は不気味そのもの。
でも、筋トレのような苦しさはないし、手軽に取り組めるので、しばらく続けてみようと思う。
ただ、コロナのせいで四六時中マスク着用を義務づけられているため、同僚にお披露目できるのはかなり先になりそう。
果たして変化に気付いてくれるだろうか。
8月のふるさと納税はスーパードライにした
酷暑でビールがうまい! こともあって今月のふるさと納税もビールを選んだ。
銘柄は、アサヒ・スーパードライ。
普段はキリンかサッポロの銘柄を選ぶことが多いのだが、コロナの影響でアサヒビールが一番苦戦しているとの報道を目にし、ささやかな応援の意味を込めて今月はアサヒを選んだ。
スーパードライは学生時代に散々一気飲みをさせられた、苦い思い出のあるビール。
在学中の4年間、あちこちの居酒屋で失態を繰り返し、周囲に迷惑をかけていた。
現代なら問題になるのだろうが、平成の前半は世の中が今よりも寛容で、居酒屋で学生が騒いでいても、店員さんも他のお客さんも、「学生さんやから・・・」ということで大目に見てくれていた。
今の学生は、店によっては胸に未成年シールを貼られるなど、ちょっと気の毒に思う。
これも未成年や学生団体の飲酒による悲惨な事件・事故が後を絶たないので、仕方がないのだろうけど。
そんな思い出満載のスーパードライ。
久しぶりに飲んでみると、キンキンに冷えていて、実にうまかった!
「ビールがうまい。この瞬間がたまらない。」
看板に偽りはなく、昨晩もYouTubeの鉄道チャンネルを観ていたので、気が付けば3缶、飲み干していた。